沖縄旅行から琉球王国を知る、、、

餃子交流会に関して

先週のゴールデンウィーク期間、3泊4日の沖縄旅行に行ってきました。

写真:沖縄那覇市の国際通り

■独立国であった琉球王国が今の沖縄県だった

今回の沖縄旅行は、妻が企画して行くことになりました。もともとマリーンスポーツにも泡盛にも興味がなかったので、沖縄へ行こうとならなかったのですが、妻が沖縄旅行を手配したことから、沖縄についてググった結果、初めて沖縄県が、もともとは「琉球王国」と言う独立した国であったことを知りました。

1)琉球王朝時代

12世紀以降、沖縄本島においては、本島南部、中部、北部を拠点とした南山、中山、北山と称する3つの勢力が、争う三山時代を迎えました。15世紀の初頭、南山の支配下にあった按司(首長)”尚巴志(しょうはし)”が三山を統一して「琉球王国」が誕生しました。尚巴志の死後、1469年にクーデターによって最初の統一王朝は幕を閉じますが、翌年開かれた「第二尚氏王朝」は1879年まで続きました。「琉球王国」は、16世紀の初めには奄美・宮古・八重山諸島にまで拡大しました。

このころの琉球は三山時代以来の中国(明)との朝貢貿易を主軸に、北は日本本土、朝鮮、南はシャム・マラッカ・ルソンなどとの中継交易を盛んにおこない、王国の経済基盤としていました。また、古代の祭祀歌謡をあつめた「おもろさうし」が編纂され、円覚寺や守礼の門ができるなど、この時代に琉球文化は最盛期をむかえました。

1609年、薩摩の侵入を受けた琉球王国は、王国体制や中国との関係は維持しつつも、幕藩体制の一環に組み入れられることになりました。従来の琉球文化に日本文化の影響が加わり、沖縄の文化は第二の隆盛期を迎え、工芸・芸能・文学などこの時期に大成しました。特に18世紀はあらゆる文化で優れた作品が生まれ、「沖縄文化のルネッサンス」と呼ばれます。

2)沖縄県の誕生

明治維新により誕生した明治政府は1872年に琉球王国を琉球藩にした後、1879年「沖縄県」を設置し、琉球王国は終焉を迎えました。これは「琉球処分」と呼ばれています。

3)第二次大戦期

第2次世界大戦において、沖縄では住民を巻き込んだ大規模な地上戦(沖縄戦)がありました。沖縄戦は1945年3月下旬から7月2日の米軍の作戦終了まで続き、亡くなられた方の数は、沖縄県国保・援護課によれば、沖縄県出身軍人軍属2万8,228人、他都道府県出身兵6万5,908人、一般県民(推計)9万4,000人、アメリカ軍側が1万2,281人(米国公刊戦史による)にのぼったとのことです。

4)第二次大戦後から現在

戦後、1951年、沖縄はサンフランシスコ平和条約によって暫定的に米国の施政下におかれましたが、その後、1971年に調印された沖縄返還協定により、1972年に日本に返還されました。復帰後、政府は沖縄の復興・開発のために社会資本の整備等を推進してきました。

現在、日米安全保障条約及びその関連取極めに基づき、日本は米国に対し、施設・区域の使用を認めており、沖縄には、37の施設・区域が存在し、軍人約2万5千人に軍属・家族等を加え、約5万人の米軍関係者が在住しています。沖縄に存在する米軍施設・区域の総面積は約23,500haで、在日米軍施設・区域の75%、沖縄県の全面積の10.4%に相当します。政府はこのように沖縄県に米軍の施設・区域が集中していることから来る沖縄県の方々の大きな負担を十分認識し、その軽減のために努力を行っています。具体的には米国政府との間で取りまとめた「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)最終報告(1996年12月)に盛り込まれた事項の着実な実施に努めています。また、政府は経済面での振興にも重点的に取り組んでいます。

※上記の1)、2)、3)の内容は、全て日本の外務省公式HPからのコピペとなります。

*参照基は外務省公式HP:https://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html

■琉球処分とは

明治政府が琉球に対し、清への冊封関係の廃止を求め、武力を背景に強制的に日本へ統合した過程をいう。 明治12年(1879)琉球藩を廃し、沖縄県が置かれることとなった。

■沖縄のことをまったく知らなかった

10年ぶりにショックな出来事でした。沖縄問題って、米軍基地の問題以前に、琉球民族としての問題になっていく訳ですね。今現在、沖縄県は日本ですが、沖縄県民(琉球民族)に対する差別意識なんて、考えたこともなかった。無知ですみません。11年前、29歳の時、カナダの留学先で、中国と台湾問題を初めて知った時以来の衝撃です。

■琉球王国に思いを馳せたところで、、、

沖縄県は、もともとは琉球王国であったところを、明治政府が強制的に日本に併合し、独自の文化を廃止させ、日本による同化政策をした訳ですね、、、あれ?どこかで聞いたような、、、こ、これは、中国政府がウイグル自治区やチベットで行っている漢民族による同化政策と一緒だ、、、。ってか、日本ではこの同化政策が成功(完了)している。沖縄県民のほとんどが、日本国民であるが、琉球民族であるって考えていて、日本語の標準語を話している、、、。日本からの独立なんて無理だって思っているけれども、日本の米軍の基地の70%が沖縄県に設置されていることに憤り(差別)を感じているって、、、。那覇市内の国際通りで買ったサトウキビを噛み締めながら、琉球王国のことや、沖縄に住む人たちのことを考えていたら、複雑な気持ちにならざるを得なかった。

■結局どうすれば良いのか?

沖縄県が、もともと琉球王国であったことを知りました。日本が武力で併合し、沖縄県としたことも。もともとの、中国との関係性(冊封・朝貢関係)も知りました。では、結局どうすれば良いのか?琉球王国の独立を応援すればよいのでしょうか?沖縄県民自身の多くが、それを望んでいるのでしょうか?まずは、米軍基地の負担が重すぎる問題を解決することが先なのでしょうか?先月まで、沖縄のことを考えたこともなかった私は、今その答えを持ち合わせていません。ただ、次回沖縄に行く際は、海でのマリーンスポーツだけでなく、米軍基地周辺や首里城にまつわる歴史等もちゃんと見て回ってみたいと思います。

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